2025年9月、ロシアで開発中の新しいがんワクチン「Enteromix(エンテロミックス)」が前臨床試験を完了したというニュースが世界を駆け巡りました。今回はこの発表に基づき、Enteromixの科学的背景、信頼性、そして脳腫瘍治療における可能性と現実的なタイムラインについて、専門家の視点から深く掘り下げて解説します。

目次



信頼性の源泉:開発を担うロシアの頭脳集団

まず、この情報が信頼できるものかを判断するために、開発の背景を理解することが重要です。Enteromixは一企業が開発しているのではなく、ロシアの科学技術の粋を集めた国家レベルのプロジェクトです。

  • 主導機関:ロシア連邦医新生体庁(FMBA)
    国の保健衛生や医療研究を監督する政府機関。今回の発表もヴェロニカ・スクヴォルツォワ長官によって行われました。
  • 研究開発の中核:国立医学研究放射線センター
    ロシアにおけるがん研究・治療のトップ機関の一つ。放射線医学や腫瘍学における長年の実績があります。
  • 基礎研究:エンゲルハート分子生物学研究所
    遺伝子工学やウイルス研究で世界的に知られる、ロシア科学アカデミー所属の名門研究所です。

このように、各分野の専門機関が連携している点が、本研究の信頼性を担保しています。



【学術的背景】Enteromixは「どのように」がんと闘うのか

Enteromixの核心は、「オンコリティックウイルス療法」と、それによって引き起こされる強力な「免疫応答」の二段構えのメカニズムにあります。これは世界中の研究者が注目する、がん治療の新しいアプローチです。


ステップ1:ウイルスによる直接的な「精密爆撃」

がん細胞は、正常細胞が持つウイルスへの抵抗力(インターフェロン応答など)が弱まっていることが多くあります。オンコリティックウイルスは、この弱点を利用してがん細胞だけを選択的に見つけ出し、内部で増殖して破壊(溶解)します。この過程は「免疫原性細胞死」と呼ばれ、単に細胞が死ぬだけでなく、免疫システムに強く働きかける特徴があります。


ステップ2:免疫システムへの「指名手配」と「戦場の改革」

ウイルスによって破壊されたがん細胞からは、その細胞の目印となる「がん抗原」が大量に放出されます。これが強力な警報となり、体中の免疫細胞(T細胞など)を呼び寄せ、”指名手配犯”として記憶させます。さらに重要なのは、これまで免疫細胞が活動しにくかった「がんの砦(免疫抑制的な腫瘍微小環境)」を、ウイルスが破壊し、免疫細胞が戦いやすい「ホットな戦場」へと変える効果です。これにより、持続的な攻撃が可能になります。

Enteromixは、直接攻撃と免疫の活性化という2つの強力な作用で、持続的にがんと闘う身体環境を作り出すことを目指しています。



最新の進捗と現実的なタイムライン

2025年9月7日、ウラジオストクで開催された東方経済フォーラムで、FMBAのスクヴォルツォワ長官は「前臨床試験が完了し、ワクチンは実質的に準備完了」と述べました。この言葉の真意を正確に理解しましょう。

  • 前臨床試験の完了:これは、培養細胞や実験動物において、期待される効果(報道では60-80%の腫瘍縮小効果)と安全性(重篤な副作用が見られないこと)が確認された段階です。
  • 第Ⅰ相臨床試験の開始:次に、少人数の患者様を対象に、主に安全性を確認し、適切な投与量を探る「第Ⅰ相臨床試験」が始まります。Enteromixは今、このスタートラインに立ったところです。

治療薬として一般に承認されるには、この後、有効性を確かめる第Ⅱ相、既存の治療法と比較する大規模な第Ⅲ相という、数年単位の長い道のりを経る必要があります。すぐにでも治療が受けられるというわけではない点を、冷静に受け止めることが重要です。



脳神経外科医の視点:なぜ膠芽腫(脳腫瘍)への応用に期待するのか

当クリニックが専門とする悪性脳腫瘍「膠芽腫(こうがしゅ)」は、現代医療における最も困難な挑戦の一つです。ご提示いただいた学術論文でも述べられている通り、その治療の難しさには複数の要因があります。

  1. 「血液脳関門(BBB)」の壁
    脳は血液脳関門という強力なバリアで守られており、多くの抗がん剤が脳内に到達できません。オンコリティックウイルスがこの関門を通過できるか、あるいは活性化した免疫細胞が関門を越えてがんを攻撃できるかが、大きな鍵となります。
  2. 「浸潤するがん」の特性
    膠芽腫は正常な脳組織に染み込むように広がっていくため、手術で完全に取り除くことが極めて困難です。術後に残存した微小ながん細胞を、免疫の力で排除できる可能性は、再発予防の観点から非常に魅力的です。
  3. 「免疫が効きにくい環境」の打破
    膠芽腫の周囲は、免疫細胞の働きを抑え込む「免疫抑制的な環境」であることが知られています。オンコリティックウイルスには、この環境を破壊し、免疫が効きやすい状態に変える(”cold” tumorを “hot” tumorへ転換する)働きが期待されており、これが最大の注目点の一つです。

国際的な研究動向:
オンコリティックウイルスによる脳腫瘍治療の研究は、ロシアだけでなく世界中で活発に進められています。例えば、単純ヘルペスウイルス(G47Δなど)やアデノウイルス(DNX-2401など)を用いた治療法が、既に米国や日本で臨床試験(治験)の段階にあります。Enteromixは、この国際的な研究潮流の中にある、有望な治療法候補の一つと位置づけることができます。



まとめ

がん治療は、一人ひとりの病状や体の状態に合わせて戦略を立てる「個別化医療」の時代です。未来の治療法に期待しつつも、まずはご自身の状況で適用可能な、あらゆる治療の選択肢について知ることが大切です。

当クリニックでは、標準治療はもちろんのこと、自家がんワクチン(詳細はセルメディシン株式会社のサイトをご参照ください)のような先進的な免疫療法についても、専門家の視点からご説明し、患者様にとって最善の道は何かを一緒に考えてまいります。どうぞお気軽にご相談ください。

 

膠芽腫について悩むあなたに寄り添います。いわた脳神経外科クリニックにお任せください!

 

 

 

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この記事を書いた先生のプロフィール

医師・医学博士【脳神経外科専門医・頭痛専門医 ほか】
脳外科医として関西医大で14年間勤務。大学時代は、脳腫瘍や脳卒中の手術治療や研究を精力的に行ってきました。脳卒中予防に重点をおいた内科管理や全身管理を得意としています。
脳の病気は、目が見えにくい、頭が重たい、めまい、物忘れなど些細な症状だと思っていても重篤な病気が潜んでいる可能性があります。
即日MRI診断で手遅れになる前にスムーズな病診連携を行っています。MRIで異常がない頭痛であっても、ただの頭痛ではなく脳の病気であり治療が必要です。メタ認知で治す頭痛治療をモットーに頭痛からの卒業を目指しています。
院長の私自身も頭痛持ちですが、生活環境の整備やCGRP製剤による治療により克服し、毎日頭痛外来で100人以上の頭痛患者さんの診療を行っています。我慢しないでその頭痛一緒に治療しましょう。

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参考文献

  • Engell, T., Pedersen, M. and Poulsen, H.S. (2024) ‘Oncolytic viruses for the treatment of glioblastoma’, ESMO IOTECH, 2(100052). Available at: https://www.esmoiotech.org/action/showPdf?pii=S2590-0188%2824%2900052-2 (Accessed: 11 September 2025).
  • Federal Medical-Biological Agency (FMBA) of Russia (2025) Announcements regarding the ‘Enteromix’ cancer vaccine at the Eastern Economic Forum. As reported by TASS and RIA Novosti, 7-10 September. (Accessed: 11 September 2025).
  • セルメディシン株式会社 (2025) 自家がんワクチン療法. Available at: https://cell-medicine.com/ (Accessed: 11 September 2025).